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第1話 運命の子

平治元年(1159)12月26日 京の都は戦火に包まれていた。
藤原信頼に加担して挙兵した源氏が平家との覇権を争った「平治の乱」である。
平清盛(渡哲也)率いる平家軍に敗れた源氏の棟梁、源義朝(加藤雅也)は、都落ちを決め、20騎ばかりの家来とともに馬を走らせ東国へ向かおうとしていた。
20騎のなかには嫡男、鎌倉の悪源太義平、次男朝長、そして12歳の三男頼朝(池松壮亮→中井貴一)がいた。

そこに、小路からひとりの女が乳飲み子をかかえて飛び出す。常盤(稲森いずみ)である。
「殿!殿!」
「常盤か! 我ら是非なきことに相成ったゆえ、都を落ちる!」
常盤は乳飲み子を差し出し「この子が、これが」
「牛若か!」
義朝と牛若(義経)の唯一にして最後の対面である。
義朝は腰刀を常盤に渡し「常盤、子らを頼む・・・」
去って行く義朝を呆然と見送る常盤。


その後尾張国野間内海庄(おわりのくにのまうつみのしょう)まで落ち延びた義朝であったが、旧臣の長田忠致の裏切りにあい壮絶な最期を遂げる。
北国勢を召集するため途中から分かれて越前に向かった嫡男の義平は、近江の石山寺で平家軍に捕らえられ六条河原で斬られた。次男の朝長も山賊に襲われ、美濃の国青墓で死んだ。そのうえ三男の頼朝は追っ手により捕われてしまったのであった。


平治の乱が終結し、後白河上皇(平幹二朗)からの恩賞により平家の勢いはますます上り坂となった。
酒宴の席、清盛は、時子(松坂慶子)、嫡男・重盛(勝村政信)、その妻経子(森口瑤子)、時忠(大橋吾郎)と妻領子(かとうかずこ)、宗盛(鶴見辰吾)、頼盛(三浦浩一)、家臣の盛国(平野忠彦)らの居並ぶ中、義朝の子供等が残っていては平家の行く先が危ない、即刻見つけ出すように厳命していた。
そこに盛国が耳打ちする。京都の楊梅(やまもも)町に暮らす、常盤の母・関屋のことであった。


そのころ常盤は京の北郊・紫竹にある家を出て、今若、乙若の手を引き、牛若を抱いて、雪の古山道をさまよっていた。
極寒の2月である。縁戚の在る大和の宇陀郡(うだのごおり)は遠い。



六波羅の屋敷では、平家に捕われた頼朝を平清盛が尋問している。
頼朝は源氏一門の弔いのため卒塔婆作りにいそしんでいると言った。
清盛は源氏代々伝わる鬚切りの太刀の行方を問い正し、家臣に見つけ出してすぐに持ち帰るよう命じた。
「わが太刀をいかがなさいます」頼朝は清盛を睨む。
代々繋がる源氏の糸を清盛は断ち切ろうというのだ。
「私はいつ首をはねられるのでしょうか!」
清盛は振り返り告げる。
「いずれ沙汰いたす・・・」


大和国へ逃げ延びる道中、とある寺で義朝の死を知った常盤は、子供たちを前に言った。
「このうえは、我らお父上のもとに参ろうと思う」
常盤は、形見となった義朝の太刀を抜いた。
鞘を置こうとしたとき、あどけない牛若と目があった。そして義朝の言葉がよみがえる・・・「子らを頼む」
泣き崩れた常盤であったが、その時、幼い子供たちのために生きる決意をしたのであった。



清盛の義母・池禅尼(いけのぜんに・南風洋子)が頼朝の助命を訴え出た。亡き息子、家盛に面影が似ているというのだ。
「家盛は腹こそ違え、六波羅殿の弟でございましょう。慈悲を示しなされ」
しかし、首を縦に振らない清盛に、池禅尼は食を断って干死にすると言いはじめた。
見かねた重盛(勝村政信)が清盛に進言する。
「継母を見殺しにでもしたとなれば、わが一門の恥となりますが。相手はたかが十四。その子ひとり助けたとて、世の形勢が変わるとは思えません。」
まだ思案する清盛のもとへ盛国がやってきた。
「殿!ただいま門前に、常盤と名乗るにょしょう(女性)が、左馬頭(さまのかみ)義朝殿の遺児三名を伴って参上した由」
母・関屋が捉えられたのを知り出頭してきた常盤は、六波羅の面前につれて来られ、庭先に座らされる。


「何卒、命お助けくださいますように。私の一命に変えて、母とこの子らの助命を願わしゅう。何卒お聞き届けください。」
むずがる牛若の邪気の無い顔が清盛の目に留まる。
「そなたは命投げ出すと申すが、母亡き後、その乳飲み子はいかがいたす?」
言葉に詰まる常盤。牛若が常盤に小さな手を伸ばす。
清盛は視線をそらし立ち上がった。沙汰は追って下されることになった。


手に入れた太刀が頼朝の検分により髭切の太刀であることが判った。
その夜、頼朝の処分を決めかねているところへお徳(白石加代子)がやって来た。
お徳は、清盛が三歳で死に別れた母・鶴葉の話を始め、面影が常盤に似ていると告げる。
いよいよ清盛の心は大きく揺れる。


沙汰がなされた。
常盤の母・関屋は放免。今若、乙若は仏門に入れることを条件とされた。
「牛若はまだ幼き故、常盤とともに洛中に住まうことを許す」
そして頼朝は伊豆への流罪という、大変寛大な処置であった。


ある日、清盛は七条にある常盤の住まいを訪れた。
暮らしぶりなどを聞いた後、自分は亡き夫の敵である。今の心中はどれほどのものかを常盤に尋ねたのだ。
何があっても子供らを守る決意を固めた常盤は、「思いがけない六波羅様の御慈悲、われらにうらむ心などございませぬ。」と答える。
「今宵、伺いたいが」
一瞬躊躇する常盤。だがすぐに決然と答えた。
「お待ちいたしておりましょう」


5年後
盛国邸で竹とんぼを飛ばす牛若の姿があった。
、知盛と無邪気に遊んでいる。
そこに清盛が常盤を伴って現れる。
「父上!」重衝がそう叫んで近付くと、牛若も「父上!」と続いた。
たしなめる盛国を清盛は「よい、よい」と制する。
このとき既に、常盤は清盛の子を身篭っていたのだった。

他の回も見る
第1話/第2話/
第3話/

第1話のポイント・解説

九条院の雑仕女
常盤は近衛天皇の皇后九条院(藤原呈子)の雑仕女だった。
「平冶物語」では、常盤は九条院が京都中から千人の美女を選び、その千人から百人を選び、百人の中から十人を選び、十人から一人を選んだとき、そのひとりが常盤であったと伝えている。ただの女中を選ぶのに、さすがにこれはないだろうと思われるが、源氏の棟梁が目をつけ、清盛の寵愛を受け、その後も一条長成に大切にされたことを考えると、それほどの美貌であったのは確かだろう。

近衛天皇の2代前、白河法皇が水に恵まれた風光明媚な鳥羽に造営したのが鳥羽離宮。貴族から雑人に至るまで宅地が与えられて、その様は「あたかも都遷 (みやこうつり)の如し」との記述が残っている。常盤もここを出入りしていたのだろうか。今は何も残らぬ鳥羽離宮跡の中で、辛うじて往時をしのべるのが安楽寿院である。


義経誕生
「義経記」では牛若は4歳まで常盤の手もとに置かれ、そのあと7歳まで山科の源氏ゆかりのものに預けられたと記している。


義経は何人兄弟?
義朝には何人の子供がいたのかを記しておこう。
[長男] 淀川沿いの橋本宿の遊女の子 悪源太義平
[次男] 修理大夫範兼という下級官人の娘の子 朝長
[三男] 「鎌倉幕府初代征夷大将軍」右兵衛左頼朝
母は「熱田大宮司藤原李範(すえのり)の娘」由良御前で、頼朝は幼いころから「そなたが本流である」と繰り返し聞かされてきた。
実際、三男ながら義朝から源家家宝の「源太ヶ産衣」という鎧(よろい)と「髭切」の太刀を与えられていたのである。
母親の地位で子の立場も決まっていたようである。
[四男] 希義 母は由良御前
[長女] 坊門姫 母は由良御前
[五男] 遠州池田宿の遊女の子 蒲冠者範頼
[六男] 今若→悪禅師→阿野全成(あのぜんせい) 母は常盤
[七男] 乙若→円成 母は常盤
[八男] 牛若→遮那王→源九郎義経 母は常盤

義朝の9人目の子供だから九郎を名乗る。(義経記では「わしは左馬頭義朝の九男だから左馬九郎といおう」と言っている)


東山
平家方から逃れた常盤は東山を通り、清水寺で一夜を明かしたといわれている。現在の東山と平安京の頃の東山は、大きくそのイメージが違ったという。そもそも当時、鴨川を越えた東側は洛中ではなく、洛外という位置づけであったそう。しかもただの洛外では無く、東山は京で亡くなった死者の三大埋葬地のひとつであった。あたり一面草ぼうぼうの野っ原で、現世と冥土の境であると言われた六道の辻もここにあった。信仰心の厚い、精霊・神罰を信じていた当時にあって、極寒の2月の夜、幼子3人を連れてこのあたりを彷徨った常盤の心中はいかばかりだったのだろうか。


六波羅様
六波羅は六原とも書く。古語では六は霊を意味し、六原は霊が多く集まる場所という意味でもあった。埋葬地の入り口に一門の居城を構えなければならなかった平家一門。当時まだ新興勢力であった武士の身分が推察される。清盛の功績は、貴族中心の政治から武士中心の政治へと変えたことだが、あろうことか、その清盛自身が貴族化していく。そのような平家の奢りがやがて武士たちの大きな反感を買うことになる。



ゆかりの地探訪

鳥羽離宮

白河天皇が湿地帯であった鳥羽の地に後院として造営を始め、鳥羽上皇が継承して完成させた。記録では約36万坪からなる広大な離宮で、現在も発掘調査が続けられている。

京都市北区紫竹牛若町
義朝の別邸があった場所。常盤御前が住んでいたので常盤第(ときわだい)とも呼ばれた。牛若はここで生まれ、今に残る町名もこれに由来する。


牛若丸誕生井

畑の中にポツンと佇む誕生の井。石碑の裏側に井戸口らしきものが見える。

胞衣塚(えなづか)

牛若のへその緒と胎盤を埋めた場所とされる。(奥の木の根本に塚がある)

源義経産湯ノ碑

京都府京都市北区紫竹牛若町
こちらは上記誕生の井から程近い民家の前にある産湯ノ碑。





光念寺(こうねんじ)

常盤の守り本尊といわれる腹帯地蔵がある
京都府京都市北区紫野上野町

常徳寺(じょうとくじ)

牛若の安産を祈願して常盤が安置した常盤地蔵菩薩坐像がある常徳寺。誕生井からすぐ近く。
京都市北区紫竹東来栖町

石山寺

嫡男・義平はここで平家方に捕われ、六条河原で斬られた。墓も境内にある。
滋賀県大津市石山寺

三年坂(産寧坂)

清水寺・子安観音へ参詣に行く坂道のひとつで、産寧坂(さんねいさか)とも言う。
本尊の十一面千手観音を常盤は深く信仰していたという。




清水寺

清水寺はもともと寺の縁起が、坂上田村麻呂の妻の安産祈願であり、古来安産祈祷などが多く行われた。逃げる常盤一行は清水寺の観音菩薩の前で一夜を明かしたと平冶物語は伝えている。

子安観音

常盤が祈願した子安観音はこの塔に奉られている。

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)

冥界への入り口といわれる六道の辻の碑がある。

六波羅

平氏の政庁が置かれた場所で、平安京の五条大路から七条大路にかけての鴨川の東側一帯を指す。

京都府京都市東山区松原通大和大路東入ル


六波羅蜜寺

当時、境域内には権勢を誇る平清盛・重盛ら平家一門の邸館が栄えていた六波羅蜜寺。宝物殿では重要文化財の平清盛坐像を観ることが出来る。

平清盛邸跡
平清盛邸は六波羅蜜寺から東南の洛東中学校の辺りを中心にあったといわれる。「此付近平氏六波羅第跡 六波羅探題府」と掘られた石碑が門の中の植え込みに見られる。
紫竹牛若町まで京都市中心部より自転車で堀川通りを北に向かいました。
一見楽な道程かと思われたが、ご存知の通り京都は盆地です。ゆるやかな坂がずっと続き、自転車では少々しんどかったです。
牛若町周辺はどとても静かな町で、


交通・地図

NHK大河ドラマ
「義経」カドカワムック


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関連リンク
■ 清水寺 ■ 石山寺
■ 六波羅蜜寺 ■ 宮内庁ホームページ 歴代天皇陵など
■ 安楽寿院 ■ (財)京都市埋蔵文化財研究所 市内の様々な遺跡発掘・調査を行う。





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